この気持ちは好きなんだろうかと思った。 そう結論づいてしまえば、黙っていられる性格では無かったから、たまたま兄に用事があると顔を出した成歩堂龍一に『好きだ』と言ってみる。 後先を考えない性格って訳じゃないけれど(そんな単純な脳味噌はしていない)、こと感覚的な想いは唇の滑りが良くなってしまうのだ。 玄関先。 未だ部屋へ上がらせもせず、成歩堂もサンダルを脱ぎもせず。突っ立ったまま、こちらを凝視している。薄ら惚けた表情は、何を考えているのかわからないので、『好きだ』なんて思った自分の気持ちを疑う。 「へぇ、そうなんだ。」 ふうん。そんな事を呟きながら、顎を捻った。そこに散らばっている無精髭を剃れば、それなりに整った顔形なのにと思うと、やはり自分はこの男を『好ましい』と感じているんだと納得出来た。 「じゃあ、僕はいま恋人いないし、お付き合いでもしてみようか。」 うん。と頷いて返って来た答えに、瞠目する。 どんな答えを期待してたとは言わない。でも、そんな言葉が返ってくるなんて予想していなかったのは確かだ。 「アンタ、本気?」 「そんな事言われると困っちゃうなぁ、弟くんが言い出したんじゃないか。」 ははは、と軽く声を上げて、ぐっとニット帽子を手で押さえ込むようにして、身体を傾げた。腕を抑えているのと反対の手を伸ばし肩に乗せた。掌にぐっと体重を掛けられ、ヨイショと身体を床板に持ち上げる。蹌踉めきそうになったのは、体格の差か。 そのまま、ポンと肩を叩かれた。 「じゃあ、よろしくね。響也くん。」 ニコニコと曲者の笑顔で横を抜けていく男を見送った。胸に浮かび合ったのは、歓喜だったのか、疑念だったのか。 ともかく恐ろしいほどあっさりと、僕−牙琉響也−は、成歩堂龍一の恋人という事になったのだ。。 欲しいくせに、いざ遣ると言われて手を引込める様な男では、二度と機会は掴めない。 「なんだと、成歩堂?」 たまたま帰国していた親友は、相も変わらず眉間に深く皺を刻みつつこちらへ目を向ける。 検事局。コイツが此処へ移ってから初めて来た執務室だったが、昔よりも随分と内装も豪華で部屋も広い。真っ先に目についた来客用のソファーに身を投げ出せば、高級なベッドさながらに身体を包んだ。やっぱり、この男は高給取りだ。 そうそう出世したんだっけ。 「良く聞き取れなかった、もう一度いいだろうか?」 こうして執務室まで訪ねる時は、僕がやっかないな報告か相談事をする時が多いから、御剣は警戒態勢だ。 「いや、だからね。年下の恋人ってどうかと思ってね。」 ムムム。そんな感じで、御剣の唇が曲がる。 そうして、ふいに横を向いた。片腕をもう一方の腕で押さえ込むリアクションは、怒っているんじゃなくて照れ隠しなんだと僕にはわかる。 「…可愛い…。」 ボソリと呟く言葉が妙にこいつらしくて、笑みが浮かんだ。 「だが、冥は恋人というか、妹のようなだな…。」 付け足された言葉に、続けざまに笑みが浮かぶ。けれどこれは苦笑い。昔自分が法廷で対峙した際の猛攻を思い出しただけだ。 「うん、だよね。」 僕は、コクリと頷いた。 「だから、僕も年下の恋人を持つ事にしたよ。」 「そうか。」 当たり前のように出てくる名前が御剣から出て来ない事だけが、成歩堂を拍子抜けさせた。それがわかったのだろう、奴は馬鹿にした様に鼻から息を吐く。 「これが、真宵君達なら、一緒に連れてきているはずだ。つまり、貴様の恋人は私とは面識のない相手という訳だ。」 「流石、天才検事鋭いね。」 …でも、待てよ。面識がない相手だろうか? 「でもね。狩魔冥と共通点もあるよ、勿論君ともね。」 ほう、奴の目が興味深そうに細められる。 こんな駆け引きをしていると、一昔前の法廷を思い出す。懐かしいだけとは言い難い胸の痛みもあるんだけど。 「相手、検事なんだ。」 「…っ、それは驚いたな、誰だ?」 「牙琉検事。」 その名前を聞いた途端、鳩が豆鉄砲を喰らったように、御剣は目を見開いた。そして、拳を机に振り下ろす。裁判長が木槌を落とすより鈍い音が響いた。 「牙琉…検事だと?」 「そう。」 「貴様、正気か!?」 ワナワナと震える拳には、色々な言葉が詰まっている。 牙琉響也は男で、貴様が弁護資格を剥奪されるに至った裁判の相手で、芸能人で…一度では叫びきれない御剣は過呼吸気味だ。 というか、やっぱり知り合いだったのか。 「面白そうだろ?」 「貴様、そんな理由で…。」 「だって、みぬきもいるのに結婚が前提になりそうな恋人はつくれないじゃないか。」 そう告げると、奥歯を噛み締めて黙り込む。ウムムと唸る姿が、懐かしい。 「今日は、これからデートのお誘いに来て此処に寄ったんだ。」 両手をパーカーのポケットに突っ込んで起きあがる。 未だに苦虫を潰している御剣に、愛想よく笑った。 「……さて、行かなきゃ。じゃあね。」 閉めてしまえば室内からの音は聞こえない。きっと、大声量で叫んでいる御剣を放置して、僕は下の階に降りるべくエレベーターのボタンを押した。 content/ next |